形式 サエ9320 (記号番号 サエ9320〜9322) サエ9320形式救援付随車
 1952年(昭和27年)に救援車代用に改造されていた100形式を1953年(昭和28年)の車両称号規程の改正により正式に救援附随車とし9320形式となった。また同様に救援車代用に改造されていた110形式は1953年(昭和28年)の車両称号規程の改正により9330形式となり、さらに1959年(昭和34年)の車両称号規程の改正により1形式に統合されサエ9320形式となった。種車である100形式は飯田線の前身の一つである伊那電気鉄道からの買収車で、外観は車体長16メートルの二重屋根構造を有する3扉木製車である。110形式も伊那電気鉄道からの買収車で、外観も100形式と酷似しているが、側窓の配置に相違がある。いずれも前位側妻面は大きく改造され、観音開き式の鋼製扉が設置され山間部における救援用機器の搬入出の利便性が図られた。後位側妻面は3枚窓が並び、非貫通式である。室内は前位側が資材置き場となっており、天井には資材用モノレールが設置された。後位側には各種工作機器の格納に使用される。車体外部の塗色はぶどう色2号である。1979年(昭和54年)までに廃車され形式消滅した。(2009.02更新)

100(2両)───→9320(2両)───┬→サエ9320(3両)───→廃車(3両)
110(1両)───→9330(1両)───┘

 

サエ9320

サエ9320
1977 中部天竜
P:豊永泰太郎氏

1924年(日 支)
伊那電気鉄道サロハユニフ101
1937年(* *)
伊那電気鉄道サハユニフ101
1943年{買 収}サハユニフ101
1953年{改 番}サエ9320
1959年{改 番}サエ9320
1979年{廃 車}
サエ9321

サエ9321
1955.06 豊橋
P:奥野利夫氏

1924年(日 支)
伊那電気鉄道サロハユニフ102
1937年(* *)
伊那電気鉄道サハユニフ102
1943年{買 収}サハユニフ102
1953年{改 番}サエ9321
1959年{改 番}サエ9321
1964年{廃 車}

サエ9330

サエ9330(→サエ9322)
1957.07 伊那松島
P:筏井満喜夫氏

1926年(松 島)
伊那電気鉄道サハフ110
19**年(* *)
伊那電気鉄道サハユニフ110
1943年{買 収}サハユニフ110
1953年{改 番}サエ9330
1959年{改 番}サエ9322

1971年{廃 車}
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