形式 エ740 (記号番号 エ740〜761) エ740形式救援車
 1953年(昭和28年)の車両称号規程の改正により客車に分類されていた2軸救援車100形式を貨車に編入した形式で、換算両数が1.0のものをまとめた形式である。俗に「マッチ箱」と呼ばれる明治時代に製造された古典2軸客車を種車にしたもので、比較的原形をよくとどめている。車体外部の塗色は黒で白帯を巻いている。1959年(昭和34年)度に形式消滅した。(2009.05更新)

100(22両)───→エ740(22両)───→廃車(22両)

 

エ740
エ740
1954.08 中津川
P:佐竹保雄氏

100形ヤ100を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治41年新橋工場製鉄道作業局ブ12を嚆矢とし、明治44年の改番により4008形ニ4011となる。さらに昭和10年に金沢工場にて救援車へ改造され100形ヤ100となった。側扉には「名」、側板には「中津川客貨車支区」の標記があり白帯が巻かれている。屋根にはトルペード式通風器が並んでいる。自重は7.55t。昭和33年に廃車された。

2008.03更新

エ741
エ741
多治見
P所蔵:筏井満喜夫氏

100形ヤ101を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治41年神戸工場製鉄道作業局ブ232を嚆矢とし、明治44年の改番により4044形ニ4141となる。さらに昭和10年に金沢工場にて救援車へ改造され100形ヤ101となった。妻面にも扉があり、ガラスには「非常車」と標記されている。側扉には「名」、側板には「多治見機関区」の標記があり白帯が巻かれている。屋根にはトルペード式通風器が並んでいる。自重は8.01t。昭和30年に廃車された。

2008.03更新

エ742
エ742
1955.10 大垣
P:佐竹保雄氏

100形ヤ102を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治22年神戸工場製鉄道作業局ブ33を嚆矢とし、明治44年の改番により4028形ニ4030となる。さらに昭和10年に名古屋工場にて救援車へ改造され100形ヤ102となった。屋根には油灯入れが残置されている。側板には「名」・「大垣機関区」の標記があり白帯が巻かれている。自重は8.69t。昭和31年に廃車された。

2008.03更新

(準備中)
エ743
エ744
エ744
1954.10 小諸
P:佐竹保雄氏

100形ヤ105を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治28年又は翌年神戸工場製鉄道作業局ブ84を嚆矢とし、明治44年の改番により4143形ニ4160となる。昭和10年に長野工場において救援車に改造され100形ヤ105となった。写真は2-4位側を示す。屋根にはトルペード式通風器と共に油灯入れが残置されている。自重は8.32t。昭和34年に廃車された。

2008.03更新

(準備中)
エ745
(準備中)
エ746
(準備中)
エ747
エ748
エ748
1956.05 郡山工
P:佐竹保雄氏

100形ヤ114を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治23年又は翌年新橋工場製鉄道作業局ブ51を嚆矢とし、明治44年の改番により4044形ニ4048となる。さらに昭和10年に盛岡工場において救援車へ改造され100形ヤ114となった。写真は1-3位側を示す。屋根上には油灯入れが残置されている。自重は7.40t。昭和31年に廃車された。

2008.01更新

エ749

エ749
1954.09 仙台
P:鈴木靖人氏

100形ヤ115を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治23年又は翌年新橋工場製鉄道作業局ブ61を嚆矢とし、明治44年の改番により4044形ニ4058となる。さらに昭和10年に盛岡工場において救援車へ改造され100形ヤ115となった。自重は7.28t。昭和29年に廃車された。

2008.03更新

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