形式 エ790 (記号番号 エ790〜802) エ790形式救援車
 1953年(昭和28年)の車両称号規程の改正により客車に分類されていた救援車190形式を貨車に編入して誕生した形式で、換算両数が0.8のものをまとめた形式である。俗に「マッチ箱」と呼ばれる明治時代に製造された古典2軸客車を種車にしたもので、比較的原形をよくとどめている。車体の塗色は黒で白帯が窓下に巻かれている。1960年(昭和35年)度に形式消滅した。(2009.05更新)

190(13両)───→エ790(13両)───→廃車(13両)

 

エ790

エ790
1954.07 十日町
P:江本廣一氏

190形ヤ190を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治27年兵庫工場製山陽鉄道254を嚆矢とし、国有化に伴い明治44年の改番により3564形ハニ3593となる。さらに昭和10年に長野工場にて救援車へ改造され190形ヤ190となった。写真は2-4位側を示す。腰板部には「長」・「長野客貨車区 十日町駅常備」の標記があり、屋根にはトルペード式通風器が並んでいる。自重は7.62t。昭和32年に廃車された。

2009.01更新

エ791

エ791
1959.05 甲府
P:豊永泰太郎氏

(準備中)
エ792
(準備中)
エ793
エ794

エ794
1955.04 王子
P:佐竹保雄氏

190形ヤ197を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治22年神戸工場製鉄道作業局ハ180を嚆矢とし、明治44年の改番により3054形フハ3070となる。その後大正5年に職用車(配給用)へ改造され24形ヤ28となった。さらに昭和12年に鷹取工場にて救援車に改造され190形ヤ197となった。昭和30年に廃車された。

2009.09更新

エ795

エ795
1954.09 紀伊田辺
P:佐竹保雄氏

190形ヤ198を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治22年神戸工場製鉄道作業局ハ179を嚆矢とし、明治44年の改番により3054形フハ3069となる。その後大正5年に緩急車へ改造され4720形ハフ4792となったが、同年に職用車(配給用)へ再改造され24形ヤ29となる。さらに昭和12年に鷹取工場にて救援車に改造され190形ヤ198となった。側板には「天」・「紀伊田辺客貨車支区」の標記があり白帯が巻かれている。昭和33年に廃車された。

2009.09更新

エ796

エ796
1955.09 吹田
P:佐竹保雄氏

190形ヤ199を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治27年山陽鉄道兵庫工場製関西鉄道459を嚆矢とし、国有化に伴う明治44年の改番により2314形ハ2325となる。その後大正7年に鷹取工場にて職用車(配給用)へ改造され4800形ヤ4800となる。さらに昭和12年に鷹取工場にて救援車に改造され190形ヤ199となった。写真は1-3位側を示す。腰板には「天」・「和歌山機関区」の標記があり白帯が巻かれている。自重は8.24t。昭和30年に廃車された。

2009.09更新

エ797

エ797
1955.04 吹田
P:佐竹保雄氏

190形ヤ200を昭和28年に貨車へ編入の上改番した。車歴は明治29年新橋工場又は神戸工場製鉄道作業局ハ327を嚆矢とし、明治44年の改番により1005形ハ1077となる。その後大正1年に金沢工場にて緩急車へ改造され3323形ハフ3363となった。大正8年に鷹取工場にて職用車(配給用)へ改造され4800形ヤ4804となる。さらに昭和12年に鷹取工場にて救援車に改造され190形ヤ200となった。写真は1-3位側を示す。自重は8.23t。昭和30年に廃車された。

2009.09更新

(準備中)
エ798
(準備中)
エ799
(準備中)
エ800
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