形式 オエ61 (オエ61 1〜39・41〜101) オエ61形式救援客車
 1966年(昭和41年)から1981年(昭和56年)にかけて多度津工場・新津工場・盛岡工場・土崎工場・大宮工場・旭川工場・五稜郭工場・幡生工場・松任工場・長野工場・名古屋工場・小倉工場・鹿児島工場・高砂工場・大船工場においてオハフ61形式・オハユ61形式・オハユニ61形式・オハニ61形式・スハニ62形式・スユニ61形式・マニ60形式・マニ61形式・オル60形式を種車に救援車に改造したものである。いわゆる鋼体化客車を種車にしたグループとなり、形式も慣例的に60台となった。外観は車体長20メートルの切妻で、原形をそのまま留めているものや、側窓の一部や貫通扉が閉鎖されたもの、両開き扉が新設されたものなどいろいろな形態がある。台車はTR11が標準であるが、マニ61形式からの改造車はTR23をそのまま使用している。車体外部の塗色はぶどう色2号である。全国各地に配属されたが、その多くが1987年(昭和62年)までに廃車された。2両のみがJR北海道に承継されたが、1990年(平成2年)に廃車され形式消滅した。(2008.12更新)

オハフ61 (1両)─┬─→オエ610番代(100両)─┬─→JR (2両)───→廃車(2両)
オハユ61 (1両)─┤      
          └─→廃車(98両)
オハユニ61(8両)─┤
オハニ61 (5両)─┤
スハニ62 (1両)─┤
スユニ61 (1両)─┤
マニ60 (78両)─┤
マニ61  (4両)─┤
オル60  (1両)─┘

 

オエ61 1

オエ61 1
1977.05 徳島
P:豊永泰太郎氏

1922年(川 崎)ナハ25111
1928年{改 番}ナハ22652
1952年(宇都宮)オハユニ61 91
1966年(多度津)オエ61 1
1987年{廃 車}
オエ61 2

オエ61 2
1983.03 東新潟
P:川崎哲也氏

1921年(日 車)ナハ24451
1928年{改 番}ナハ22244
1953年(高 砂)オハフ61 568
1966年(新 津)オエ61 2
1987年{廃 車}
オエ61 3

オエ61 3
1986.04 福島
P:横山淳

1926年(川 崎)ナロハ22419
1928年{改 番}ナロハ21349
19**年(* *)ナハ23764
1952年(長 野)オハユニ61 17
1967年(盛 岡)オエ61 3
1987年{廃 車}
(準備中)
オエ61 4
オエ61 5

オエ61 5
1977.05 小松島
P:豊永泰太郎氏

1920年(汽 支)オユフ27474
1928年{改 番}オユ16104
1950年(* *)オニ16671
1952年(宇都宮)オハユニ61 92
1968年(多度津)オエ61 5
1984年{廃 車}
オエ61 6

オエ61 6
1977.05 高知
P:豊永泰太郎氏

1923年(川 崎)オユフ27511
1928年{改 番}オユ26000
19**年(* *)オニ26790
1952年(宇都宮)オハユニ61 93
1968年(多度津)オエ61 6
1986年{廃 車}
オエ61 7

オエ61 7
1974.05 土崎工
P:和田洋氏

オハユニ61形オハユニ61 21を昭和43年に土崎工場にて改造した。車歴は大正13年に日本車輌にて製造した25500形ホハフ25782を嚆矢とし、同年に25500形ナハフ25782へ改称、昭和3年に24000形ナハフ24226へ改番された。その後昭和27年に長野工場にてオハユニ61形オハユニ61 21へ鋼体化改造された。台車はTR11を履く。自重は28.9t。昭和49年に廃車された。

2009.03更新

(準備中)
オエ61 8
オエ61 9

オエ61 9
品川
P:豊永泰太郎氏

1922年(川 崎)ナハ25141
1928年{改 番}ナハ22682
1953年(輸送機)マニ60 13
1967年(大 宮)オエ61 9
1987年{廃 車}
オエ61 10

オエ61 10
1986.08 高崎
P:横山淳

1927年(新 潟)ナハ35346
1928年{改 番}ナハ23829
1953年(汽 支)マニ60 208
19**年(* *)マニ60 2208
1969年(大 宮)オエ61 10
1987年{廃 車}
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