形式 オヤ31 (記号番号 オヤ31 11〜13) オヤ31形式試験客車
 11 は1953年(昭和28年)に大宮工場においてスヤ34形式を種車に建築限界測定用の試験車に改造したものである。外観は丸屋根構造で、測定用の矢羽根は0番代と同様に3ヶ所に設けられている。屋根上には直接矢羽根の動きを観察するための出窓が2ヶ所あり、ベンチレータは全て撤去された。室内には記録台・司令台・腰掛・便所・洗面所が設置されている。種車のスヤ34形式はもともとスハ32形式を特別軍用客車として改造したスイネ32形式(後のスイネフ30形式)を指定解除後に救援車に改造したものである。12 13 は1959年(昭和34年)と1961年(昭和36年)に長野工場においてスハ32形式を種車に改造したもので、記録台への伝達方式が機械式から電気式に変更され、ランプの点灯によって確認される。室内には記録台や配電盤が置かれる作業室と、長手腰掛・物置・流し・便所・洗面所が設置される控室に分かれ、それぞれに出入台が設けられた。台車はTR23を履く。車体外部の塗色はぶどう色2号である。1987年(昭和62年)に11 が廃車され、その他はJRに承継されたが、12 は1995年(平成7年)に廃車された。(2009.01更新)

スヤ34(1両)─┬─→オヤ3110番代(3両)─┬─→JR(2両)─┬─→
スハ32(2両)─┘      
         └─→廃車(1両) └─→廃車(1両)

 

オヤ31 11

オヤ31 11
1989.03 新鶴見
P:藤田吾郎氏

スヤ34形スヤ34 21を昭和28年に大宮工場で改造した。車歴は昭和9年日車支店製32800形スハ32820を嚆矢とし、昭和16年にスハ32形スハ32 157へ改番した。戦後特別軍用客車に指定され、昭和22年に幡生工場にてスイネ32形スイネ32 157へ改造された。その後昭和24年にオイネ32形オイネ32 157へ改称、同年接収解除されると緩急車化改造されスイネフ30形スイネフ30 1となった。昭和26年に救援車に改造されスヤ34形スヤ34 21となった。昭和62年に廃車された。

2008.12更新

オヤ311 11の室内

オヤ31 11の室内

1989.03 新鶴見
P:藤田吾郎氏

屋根上に2ヶ所に設置される観測用出窓へ昇る梯子が確認出来る。

2008.12更新

オヤ31 12

オヤ31 12
米原
P:川崎哲也氏

1937年(田 中)スハ33089
1941年{改 番}スハ32 426
1959年(長 野)オヤ31 12
1987年{承 継}JR東海
1995年{廃 車}
オヤ31 13

オヤ31 13
1986.04 福島
P:横山淳

1937年(新 潟)スハ33114
1941年{改 番}スハ32 451
1961年(長 野)オヤ31 13
1987年{承 継}JR東日本
 
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