形式 スヤ32 (記号番号 スヤ32 1〜3) スヤ32形式保健客車
 1 は1962年(昭和36年)に五稜郭工場において、試験車スヤ32形式を改造して誕生した保健車である。2 もほぼ同時期の改造と推定されるが詳細は不明である。屋根は1 が二重屋根、2 は丸屋根構造となっているが、共に特別職用車時代の経歴を持ち、前位側に密閉式の展望室構造を残している。室内は前位側から検査処置室・診察室・寝室・暗室・レントゲン室・便所などから構成されている。1 はさらに1970年(昭和45年)に旭川工場においてより近代的な設備に機器類が更新され、外観も一部側窓が閉鎖されるなどの変化が生じた。台枠はUF21で、台車はTR23を履く。車体外部の塗色は当初ぶどう色2号であったが、1965年(昭和40年)に車両塗色及び標記方式規程の一部改正により青15号へ変更、腰板上部に黄5号の飾帯を巻いた。1977年(昭和42年)に1 が廃車されたことにより一旦形式消滅したが、同年中に旭川車両センターにおいてオハフ33形式から1両が改造され3 となった。外観は後位側妻面の貫通路が閉鎖され、側窓の窓枠がアルミサッシ化されている。車体外部の塗色は青15号に黄5号の飾帯を巻いている。こちらも1986年(昭和61年)に廃車され形式消滅した。(2008.12更新)

スヤ32試(2両)─┬─→スヤ32保(3両)───→廃車(3両)
オハフ33
(1両)─┘

 

スヤ32 1

スヤ32 1
1974.10 
札幌
P:葛英一氏

試験車であるスヤ32形スヤ32 1を昭和36年に五稜郭工場にて改造した。車歴は昭和5年汽車支店製32600形スハ32702を嚆矢とし、昭和16年の改番によりスハ32形スハ32 103となる。戦後特別軍用客車に指定され、昭和21年に名古屋工場にてクラブ車としてオイ31形オイ31 15へ改造された。さらに昭和22年に盛岡工場にてオイネ31形オイネ31 51へ再改造された。昭和24年に接収解除され、翌年五稜郭工場にて特別職用車へ改造、スヤ51形スヤ51 18となった。その後特別職用車制度廃止に伴い、昭和28年に旭川工場にて試験車へ改造、スヤ32形スヤ32 1となった。写真は1-3位側を示し、機器更新後の姿である。床下に温気暖房装置を搭載する。昭和52年に廃車された。

2008.11更新

スヤ32 2

スヤ32 2
1974.10 旭川
P:葛英一氏

試験車であるスヤ32形スヤ32 2を改造した。車歴は昭和12年汽車支店製32800形スハ32919を嚆矢とし、昭和16年の改番によりスハ32形スハ32 256となる。戦後炭鉱調査団専用車とされ、昭和23年に大宮工場にてスイネ34形スイネ34 1となる。その後返還され昭和25年に旭川工場にてスヤ34形スヤ34 1へ改造された。昭和26年に五稜郭工場にて特別職用車へ改造、スヤ51形スヤ51 19となった。その後特別職用車制度廃止に伴い、昭和28年に旭川工場にて試験車へ改造、スヤ32形スヤ32 2となった。写真は2-4位側を示。昭和51年に廃車された。

2008.11更新

スヤ32 3

スヤ32 3
1985.07 東室蘭
P:横山淳

1940年(梅 鉢)スハフ34989
1941年{改 番}オハフ33 270
1959年(* *)オハフ33 2270
1977年(旭 川)スヤ32 3
1986年{廃 車}
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